【松戸の謎】東京都立八柱霊園はなぜ千葉に?歴史と眠る偉人たちを巡る完全ガイド

この記事では、千葉県松戸市に広がる東京都立八柱霊園について、その成り立ちから現代に至るまでの歴史、そして多くの著名人が眠る理由を、客観的な視点で詳しく解説します。
なぜ「都立」霊園が千葉県松戸市にあるのか、その背景には20世紀初頭の東京が直面した深刻な墓地不足問題がありました。本記事では、その歴史的な経緯を紐解きながら、フランス式庭園やケヤキ並木が美しい公園のような景観や、充実した施設を紹介します。
さらに、岡本太郎、与謝野晶子・鉄幹夫妻、嘉納治五郎といった、日本の近現代史を彩った偉人たちのお墓巡りの魅力にも迫ります。松戸市民向けの特例利用制度など、地域住民にとって有益な情報も網羅。歴史探訪や静かな散策を楽しみたい方に向けた、八柱霊園の完全ガイドです。
なぜ松戸市に「都立」霊園が?歴史の謎に迫る
千葉県松戸市、武蔵野線の東松戸駅からもほど近い場所に、広大な緑地が広がっています。その名は「東京都立八柱霊園」。多くの人が「なぜ千葉県にあるのに“都立”なの?」と疑問に思うことでしょう。この地理的なねじれには、日本の近代化がもたらした都市問題と、行政の大きな決断の歴史が刻まれています。
八柱霊園は、単なる墓地ではありません。日本で初めて「霊園」という名称が使われたこの場所は、死者を弔う場であると同時に、訪れる人々に安らぎを与える公園としての役割も担ってきました。この記事では、八柱霊園が誕生した背景から、その豊かな自然環境、そしてここに眠る多くの偉人たちについて、深く掘り下げていきます。
東京の人口爆発と「公園墓地」構想の始まり
物語は20世紀初頭の東京に遡ります。当時の東京市は、急速な産業発展と都市化により、かつてないほどの人口増加に直面していました。それに伴い、市内の墓地は飽和状態となり、増え続ける埋葬需要に応えられないという深刻な墓地不足が社会問題となっていたのです。
この課題を解決するため、東京市は郊外に広大な「公園墓地」を造成する計画を打ち出します。これは、1923年(大正12年)に開設され成功を収めた多磨墓地(現在の多磨霊園)を先例とするものでした。墓地を、単に遺骨を埋葬する場所としてではなく、緑豊かな景観を持つ公園として整備するという考え方は、当時のヨーロッパの都市計画思想を取り入れた先進的な試みでした。
なぜ「八柱」の地が選ばれたのか
新たな公園墓地の候補地として白羽の矢が立ったのが、当時の千葉県東葛飾郡八柱村でした。その面積は約105ヘクタール(東京ドーム約20個分)にも及ぶ広大な土地で、元々は幕府が管理する放牧地「小金中野牧」の一部でした。
この土地の選定には、地元村の積極的な誘致活動や、大地主であった吉田甚左衛門の人脈、そして都心からの交通の便などが影響したと言われています。霊園の名称である「八柱」は、この地域を構成していた八つの村(八柱村、紙敷村、大橋村、和名ヶ谷村、秋山村、高塚新田、串崎新田、田中新田)が合併した歴史に由来するとされ、その名にも地域の歩みが刻まれています。
日本初の「霊園」の誕生と変遷

昭和10年(1935年)7月1日、ついに「東京市営八柱霊園」として開園します。ここで特筆すべきは、日本で初めて「霊園」という言葉を公式に用いた施設である点です。「墓地」という直接的な表現を避け、「霊園」とすることで、公園のような明るく安らかな空間であることを強調したのです。
開園当初は東京市民のための施設でしたが、昭和18年(1943年)に東京府と東京市が統合され「東京都」が誕生する「都制施行」に伴い、八柱霊園も「都立霊園」へと移行。より広域的な公共サービスの一翼を担うことになりました。
第二次世界大戦中には、その広大な敷地が軍の基地として利用されたという歴史の一幕もあります。戦後になると利用者が急増し、お彼岸の時期には参道に多くの露店が並ぶほどの賑わいを見せました。その広さから、戦後の混乱期には運転免許の練習場や、人々の憩いの場として利用されたというエピソードも残っており、八柱霊園が地域社会にとっていかに多機能な空間であったかを物語っています。
散策したくなる霊園の景観と特徴
八柱霊園が多くの人に親しまれている理由は、その歴史だけではありません。訪れる人々を魅了する、美しく管理された景観と充実した施設にあります。

フランス式庭園と壮大なケヤキ並木
霊園の正門をくぐると、まず目に飛び込んでくるのが、約700メートルにわたって続く壮大なケヤキ並木です。新緑の春、木漏れ日が心地よい夏、紅葉に染まる秋、そして冬の静寂と、四季折々の表情で訪れる人々を迎えてくれます。
この参道を進んだ先、中央の谷間部分には、シンメトリーが美しい「フランス風の幾何学模様の庭園」が広がっています。日本の伝統的な墓地のイメージを覆すこの洋風庭園は、宝塔の形をした給水塔や噴水と相まって、霊園全体に明るく洗練された雰囲気をもたらしています。起伏に富んだ地形を活かした設計と、アカマツやクロマツ、桜といった豊かな植生が、ここを単なる墓所ではなく、一大パノラマパークとして成立させているのです。
利用者に優しい充実した施設
公営霊園ならではのきめ細やかな管理体制も、八柱霊園の大きな特徴です。
- バリアフリー設計: 園内の通路は広く、段差が少ないフラットな設計で、車椅子やベビーカーでも安心して散策できます。
- 設備の充実: トイレや休憩所、水道設備が各所に設置されているほか、管理事務所では車いすの貸し出しも行っています。
- 管理体制: 園内は常に清掃が行き届き、植栽も美しく手入れされています。管理事務所には職員が常駐しており、AEDも設置されるなど、安全管理も徹底されています。
これらの充実した設備と管理により、お墓参りはもちろん、歴史探訪や自然観察、ウォーキングなど、様々な目的で訪れる人々が快適に過ごせる環境が保たれています。
松戸市民も利用可能?霊園の利用案内
都立霊園であるため、基本的には東京都内に在住していることが利用の条件となります。しかし、八柱霊園には特例が存在します。
霊園が松戸市に所在することへの配慮として、松戸市民向けの利用枠が特別に設けられています。募集は年に1回、例年6月頃に公募が行われます。一般の墓所のほか、近年では承継者を必要としない合葬埋蔵施設など、多様化するニーズに対応した埋葬形式も提供されています。
詳しい募集要項や条件については、時期が近づくと東京都や松死市の広報、または公式サイトで発表されますので、関心のある方は確認してみてください。
八柱霊園に眠る著名人たち – 日本の近現代史を巡る旅
八柱霊園は、日本の歴史や文化に大きな足跡を残した多くの著名人たちが眠る場所としても知られています。園内では「著名人のお墓めぐり」と題したパンフレットも用意されており、偉人たちの軌跡を辿ることができます。
【豆知識】東郷平八郎元帥の墓はここにはない?
しばしば「八柱霊園には東郷平八郎元帥の墓がある」という情報が見られますが、これは誤りです。日露戦争で活躍した東郷平八郎元帥が眠っているのは、同じ都立霊園である多磨霊園(東京都府中市)です。著名な霊園であるため情報が混同されがちですが、八柱霊園にも多くの偉人たちが安らかに眠っています。
文学・芸術の巨匠たち
岡本太郎(おかもと たろう) – 芸術家
「芸術は爆発だ!」の言葉で知られる前衛芸術家。彼の墓は、自身の彫刻作品「午後の日」が墓標として設置されており、まさに岡本太郎らしいエネルギッシュな空間です。隣には、漫画家の父・一平、小説家の母・かの子の墓も並び、芸術家一家の力強い存在感が訪れる人を圧倒します。
西條八十(さいじょう やそ) – 詩人・作詞家
童謡『かなりあ』や歌謡曲『青い山脈』など、数々のヒット曲の作詞を手がけた国民的詩人。彼の墓は、開いた本をかたどったユニークなデザインで、フランスの文豪モーパッサンの墓碑から着想を得たとされています。墓石には、愛する妻へ捧げた詩が刻まれており、彼のロマンチシズムが感じられます。
与謝野晶子(よさの あきこ)・鉄幹(てっかん) – 歌人
情熱的な歌集『みだれ髪』で知られる晶子と、夫であり同じく歌人の鉄幹。二人の墓は、寄り添うように建てられた対のデザインが特徴的で、近代文学史を代表する夫婦の深い絆を象徴しています。
北原白秋(きたはら はくしゅう) – 詩人・歌人
日本の近代詩に大きな影響を与えた詩人。その墓は、版画家であった親友・恩地孝四郎が設計した、古墳を思わせるドーム状のユニークな形をしています。
このほかにも、洋画家の岸田劉生、写真家の土門拳、「ルパン三世」の声で知られる声優の山田康雄など、多くの文化人がこの地に眠っています。
経済・教育・スポーツ界の偉人たち
嘉納治五郎(かのう じごろう) – 「柔道の父」
講道館柔道の創始者であり、日本のオリンピック初参加に尽力した教育者。「柔道の父」として世界的に知られています。彼の墓は神道形式の珍しいもので、その功績を偲び、今も多くの人々が訪れます。
井深大(いぶか まさる) – ソニー創業者
世界的な企業「ソニー」の共同創業者の一人。日本の戦後復興と技術革新を象徴する経営者として、その名は広く知られています。
島安次郎(しま やすじろう)・秀雄(ひでお)親子 – 新幹線の立役者
日本の鉄道技術を牽引し、世界に誇る新幹線の実現に大きく貢献した親子。彼らの技術と情熱なくして、今日の日本の高速鉄道網はなかったかもしれません。
大谷米太郎(おおたに よねたろう) – ホテルニューオータニ創業者
「鉄鋼王」として財を成し、東京オリンピックのためにホテルニューオータニを建設した実業家。そのスケールの大きな生涯を物語るように、広々とした墓域に眠っています。
八柱霊園に眠る主な著名人一覧
氏名 | 分野 | 主な功績 / 特徴 |
---|---|---|
岡本 太郎 | 芸術家 | 前衛芸術家。墓標は自身の作品「午後の日」 |
西條 八十 | 詩人・作詞家 | 童謡『かなりあ』など。開いた本の形の墓石 |
与謝野 晶子・鉄幹 | 歌人 | 近代短歌を代表する夫婦。対になった墓石 |
北原 白秋 | 詩人・歌人 | 版画家・恩地孝四郎設計のドーム状の墓 |
岸田 劉生 | 洋画家 | 『麗子微笑』で知られる。娘と並んだ墓 |
土門 拳 | 写真家 | 『筑豊のこどもたち』などで知られるリアリズム写真の巨匠 |
嘉納 治五郎 | 教育者・柔道家 | 「柔道の父」。講道館柔道創始者、IOC委員 |
井深 大 | 実業家 | ソニー株式会社の共同創業者 |
島 安次郎・秀雄 | 鉄道技術者 | 親子で日本の鉄道、特に新幹線開発に貢献 |
大谷 米太郎 | 実業家 | 「鉄鋼王」。ホテルニューオータニ創業者 |
山田 康雄 | 声優 | アニメ『ルパン三世』のルパン役で知られる |
西村 晃 | 俳優 | テレビドラマ『水戸黄門』の二代目黄門役など |
まとめ:過去と現在が交差する、地域のかけがえのない空間
東京都立八柱霊園は、東京の都市問題への対応として生まれ、時代の変遷とともにその役割を変えながら、今日に至るまで多くの人々に利用されてきました。
単に歴史的な著名人が眠る場所というだけでなく、その美しい景観と豊かな自然は、地域住民にとってかけがえのない憩いの場となっています。ケヤキ並木を散策し、フランス式庭園で季節の移ろいを感じ、そして日本の近現代を築いた偉人たちの功績に思いを馳せる。八柱霊園は、そんな静かで知的な時間を提供してくれる、多層的な魅力を持つ空間です。
東松戸周辺にお住まいの方も、これから訪れることを考えている方も、ぜひ一度、この広大な緑地を訪れてみてはいかがでしょうか。そこには、教科書だけでは感じることのできない、日本の歴史の息吹と、都市と自然が織りなす穏やかな時間が流れています。